広島地方裁判所 昭和45年(行ク)5号 決定 1971年2月27日
申立人 新見弘志
被申立人 広島法務局長
訴訟代理人 古館清吾 外一名
主文
一、被申立人が、申立人に対し昭和四五年六月三〇日付をもつてした司法書士認可取消処分は、当裁判所同年(行ウ)第二八号懲戒処分取消請求事件の判決の確定に至るまで、その効力を停止する。
二、申立費用は、被申立人の負担とする。
理由
第一、当事者双方の申立て並びに主張
申立人の本件申立ての趣旨及び理由は、別紙(一)の申請書及び同(二)の補充書のとおりであり、被申立人の意見は、同(三)の意見書のとおりであるから、これらをここに引用する。
第二、当裁判所の判断
一、申立人は、昭和三九年一〇月六日広島法務局第一、〇二五号をもつて司法書士の認可を受け、同四〇年一月一日から広島市上八丁堀四番三〇号の事務所において、司法書士の業務に従事していたものであるが、同四五年六月三〇日、被申立人から、広島法務局同年総秘第四〇号懲戒処分書をもつて、別紙(四)のとおり、司法書士の認可を取り消す旨の懲戒処分を受けたことは、当事者間に争いがなく、また、本件記録によれば、申立人は、被申立人を被告として右懲戒処分の取消しを求める訴えを提起し(当裁判所同年(行ウ)第二八号懲戒処分取消請求事件)、右事件の判決の確定に至るまで、右懲戒処分の効力の停止を求めるため、本件申立てに及んだことが明らかである。
二、そこで、まず申立人に「本件懲戒処分により生ずる回復の困難な損害を避けるため緊急の必要がある」かどうかについて判断する。
本件疎明資料によれば、次の事実が一応認められる。
申立人は、本件処分当時、妻(二九才)と三人の女児(長女七才、次女四才、三女一才)を抱え、司法書士としての収入(一か月約八万円)により生計を立ててきたが、本件処分により司法書士の認可を取り消され、その業務を執り得なくなつたため、生活の基盤を失うとともに他にこれといつた収入や資産もないので、申立人及びその家族は経済的苦境に陥つた。一方、右処分時には、申立人の実父新見貞夫が司法書士の認可を受けて(昭和四五年三月二〇日付認可)、申立人と同一事務所で執務していたところから、申立人が嘱託を受けていた事件は、右実父に引き継ぐことができたので、嘱託者に格別の迷惑をかけず信頼関係もかなりの程度維持しえたが、同人が、昭和四六年二月八日高血圧性心疾患、糖尿病、糖尿病性神経炎等の病気により広島市民病院に入院したのちは、嘱託者に多大の迷惑をかけその信頼関係も、これを維持することが困難となつた。
ところで、司法書士の職務は、その性質上、嘱託者との信頼関係に基づいて成り立つものであり、右の信頼関係を維持するには、その職務を継続して行うことが重要であることは、容易に推測しうるところであるが、申立人は、本件懲戒処分により司法書士の資格を喪失し、司法書士としての執務が不可能となつたことから、数年にわたり培つてきた事件嘱託者との信頼関係が断たれたため、今後なお時日を要すると思われる本案判決確定の日まで、執務不能の状態が続くときには、仮に後日右懲戒処分が取り消されたとしても再び右の嘱託者との信頼関係を回復することは、相当な困難を伴うものと思われる。
そして、司法書士は、他人の嘱託を受けて、その者が裁判所、検察庁、又は法務局若しくは地方法務局に提出する書類を代つて作成することをその本来の目的とするものであり、司法書士として報酬を得ることは副次的な目的にすぎないというべきであるが、前記説示の申立人の年令、経歴、境遇等に司法書士の社会的地位、役割等を合せ考慮すれば、申立人が本案判決確定に至るまで司法書士としての職務を遂行できないならば、回復困難な損害を被る虞があり、同人にはこの損害を避ける緊急の必要があるというべきである。
三、次に、本件申立てが「本案に理由がないとみえるとき」に該当するか否かについて判断する。
本件懲戒処分の理由となつた事実については、申立人もほゞ認めるところであり、本件疎明資料によれば、申立人は、処分理由一、二の供託手続の嘱託を受けながら、別紙(四)の処分書記載の期間、右手続を遅滞したこと、並びに処分理由三の被申立人の承認を得ないで、補助者畠山まゆみを使用した事実が一応認められる。もつとも、被申立人が事実認定の資料としたのは、主として被害者の法務事務官に対する供述調書と解されるので、右供託手続遅滞の理由の判定については、今後証拠調べを経て慎重な吟味を要することはいうまでもない。
右の事実によれば、申立人の各行為のうち、処分理由一、二の各行為は、司法書士法第一八条、同法施行規則第一二条に、同三の行為は、同規則第一一条に各違反する疑いが強いので、申立人が同法第一二条により、懲戒処分を受けることもまことにやむを得ないものというべきである。
ところで、右条項に規定する懲戒処分の種類は、戒告、一年以内の業務停止及び認可の取消であり、各種懲戒案件について、右処分のうちいずれを選択するかは、被告の裁量に属するものとも考えられるが、認可の取消は懲戒処分のうちでも司法書士の地位を剥奪する結果を生ずる最も厳しい処分であるから、司法書士が法律命令に著しく違反し、その情が重いときにのみ適法なものとして是認されると解すべきである。
本件疎明資料によれば、申立人は、昭和四二年一二月二一日被告の承認なくして補助者を使用したこと等で被告に始末書を提出していること、次いで、土地の所有権移転登記手続に当り、有効期間を徒過した印鑑証明書の日付を改ざんして使用したこと及び被告の承認なくして補助者を使用したこと等で、被告から昭和四三年七月三日に一か月間の業務停止処分を受けていることが一応認められる。しかしながら、本件の場合、申立人は、遅れながらも供託手続を了しており、また供託手続遅滞に伴う実害を嘱託者に与えたものではない。のみならず補助者の使用も司法書士会の事務処理の遅延もその一因をなしているとも見られるから、かかる事情につきなお本案訴訟において審理し、真相を糾明しなければ、申立人が法律又は命令に著しく違反し、認可取消に値する程度にその情が重いものと速断することができない。そうだとすれば、本件は現段階において本案について理由がないものであるとは断定できない。
四、さらに、本件申立てを認容することが、「公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがある」場合に該当するかについて付言する。
申立人も、本件処分により業務を停止して以来約八か月を経過した現在、自己の行為を反省しているものと認められること、及び業務開始後は司法書士会並びに被申立人の監督、指導により嘱託者に対し不測の損害を与え、国民の利益の保全ないし確保に重大な支障をもたらすことは防止しうるものと思われる。従つて、本件申立てを認容することは、「公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがあるとき」にあたるということはできない。
第三、結び
以上の理由により、申立人の本件申立ては理由があるからこれを認容することとし、申立費用の負担につき、民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり決定する。
(裁判官 熊佐義里 塩崎勤 井上郁夫)
別紙(一)
行政処分の執行停止申請書
申請の趣旨
一、被申請人が申請人に対し広島法務局昭和四五年総秘第四〇号による司法書士の認可取消処分は本案判決確定に至るまでその効力を停止する。
二、申請費用は被申請人の負担とする。
との判決を求めます。
申請の理由
一、申請人は昭和三九年一〇月六日広島法務局第一、〇二五号をもつて司法書士の認可を受け、昭和四〇年一月一日から肩書事務所において司法書士の業務に従事していたのでありますが、昭和四五年六月三〇日広島法務局昭和四五年総秘第四〇号懲戒処分書による被申請人の司法書士の認可取消の処分の告知を受けてから業務を停止しております。
二、右懲戒処分書による懲戒事実は次のとおりであります。
一 広島市国泰寺町二丁目三番五号藤本尚秀から債権者(家主)広島県山県郡大朝町大字新庄六二六番地持分二分の一吉城寺正明外一名に対する家賃弁済のための弁済供託書の作成およびその代理申請の嘱託をうけ、
(1) 昭和四五年一月七日、同年一月分の家賃弁済供託代金五五、〇〇〇円と報酬金一、〇〇〇円の合計金五六、〇〇〇円
(2) 同月二八月、同年二月分の家賃弁済供託代金五五、〇〇〇円と報酬金五〇〇円の合計金五五、五〇〇円
をそれぞれ受領しながらその手続をせず、しかも、同年一月一五日頃および同年二月二五日嘱託人に対して供託所へは未提出の供託書の写を交付して、あたかも供託が完了したかのごとく偽装したものである。ただし、その後嘱託人から追求されたため、同年二月二八日に至つて前記供託の手続をしている。
二 嘱託人広島市京橋町一番一五号尾崎徳男から債権者(地主)安佐郡祗園町大字長束八九三番地木下秀雄に対する地代弁済のための弁済供託書の作成およびその代理申請の嘱託をうけ
(1) 昭和四四年二月二四日地代弁済供託金名目の金二〇、〇〇〇円
(2) 同四四年一二月二〇日同名目の金二〇、〇〇〇円
をそれぞれ受領しながら、その頃なんらの手続もせずに放置していた(なお、同嘱託人からかねて同地代の弁済供託のため、同四三年一月一九日に同四二年八月分から同四三年一月分までの地代金九、六〇〇円と報酬金九〇〇円の合計金一〇、五〇〇円を、また、同四三年五月(日不詳)に供託費用名目の金五、〇〇〇円をそれぞれ受領していながら、これらについてもなんらの手続をもしなかつた。
そしてその後同嘱託人が、同四四年一二月二六日債権者から右借地明渡調停の申立をうけ、同四五年三月一〇日の調停期日に地代の供託書の正本を提出するよう求められたため、その前日である同年三月九日右正本の交付を要求するに及んで、同月一〇日に、同四三年一月一九日以降嘱託人から受領したままになつていた金員合計金五五、五〇〇円のうち、金四九、六〇〇円を同四二年八月から同四五年二月までの地代として供託し、残金五、九〇〇円を報酬五〇〇円、相談料金五、四〇〇円に充当した。
三 同四五年一月五日から同年三月九日までの間当局に提出する申請書等の作成、提出等のため当職の承認を受けないで畠山まゆみを補助者として使用した。
三、しかしながら右懲戒事実は著しく事実を誤認している点が多く申請人として納得のゆき難いものが多いのであります。即ち
(1) 懲戒事実一について
昭和四五年一月七日広島市国泰寺町二丁目三番五号藤本尚秀が申請人の知人和田勝の紹介によつて申請人事務所を訪れ、家賃弁済のための弁済供託の嘱託を受けたのでありますが、その際嘱託人藤本尚秀の言うことは肝心な供託の相手方(家主、債権者、被供託者)が何処の誰かがはつきりしないばかりか事実関係も明確を欠き、俗に云う私の行くところは何処ですか式であつたのでありますが、嘱託人の懇願と紹介者の手前をと考えて、相手方(家主)の住所氏名等事実関係は調査することゝして嘱託を受け、昭和四五年一月分の家賃弁済供託代金五五、〇〇〇円と報酬金五〇〇円それに事実関係の調査費として五〇〇円の合計五六、〇〇〇円を受取つたのでありますが嘱託人は地獄で仏に合つたように喜んで帰つたのであります。後日の調査によつて相手方(家主)は広島県山県郡大朝町大字新庄六二六番地持分二分の一吉城寺正明外一名ということが判りましたが法律的に無智な嘱託人に所有権とか持分とかの意義が判らないとしても無理からぬことゝ思いました。
申請人は受託後相手方(家主)の住所、氏名等を調べるため他の緊急な嘱託事件の相間をみては広島市役所や広島法務局を往復しているうちに、同月二八日嘱託人が再び申請人事務所を訪れ同年二月分の家賃弁済の弁済供託の嘱託を受けましたので申請人は未だ相手方(家主)の住所、氏名の調べがつかないので未だ一月分の供託手続をしていないが近く目途がつくので一、二、月分を一括して供託手続をする旨告げ、嘱託人も手数をかけて相済みませんが、よろしくお願いしますと納得して二月分の家賃弁済供託代金五五、〇〇〇円と報酬金五〇〇円を置いて帰つたのであります。
その後調査の結果相手方(家主)も明確になりましたので二月二八日に一、二月分を一括して供託したのであります。その間調査のため相当の日時を要し供託手続が或程度遅延したことは事実でありますが、申請人は当時他に多くの嘱託事件を扱つており、広島市役所の調査は勤務時間外にする訳にも行かず気がかりながらも意の如くならなかつたもので、決して申請人の怠慢によるものではありません。
懲戒処分書によりますと申請人は「嘱託人に対して供託所へは未提出の供託書の写を交付して、あたかも供託が完了したかのごとく偽装したものである。」とありますが、まことに敵意に満ちた表現であります。申請人が二月二五日嘱託人に対し供託書の写を交付したのは同人から要求があつたためではなく、嘱託人が正当な相手方(家主)について多くの不安を持つていたので同人を安心さすため申請人の親切心からわざわざ写を作つて渡したもので、供託が完了したかのごとく偽装したとは曲解も甚しいと云わねばなりません又「その後嘱託人から追求されたため、同年二月二八日に至つて供託の手続をしている」とありますが、嘱託人は終始申請人に感謝していたもので、供託手続は供託の要件が整つたからしたまでのことで嘱託人に追求されたためではありません。
嘱託人は申請人事務所を訪れるまでに法務局供託所へ数度相談に出掛けたが被供託者がはつきりしないため要領を得ず又その他へも足を運んだが、親身になつて相談に乗つてくれるものはおらず思案に余つて前掲和田勝に相談に行つたところ申請人を紹介され藁をも掴む想いで申請人事務所を訪れたもので嘱託人は申請人の供託手続の受託に対し生涯恩に着ますと感謝していたもので、申請人を追求するなど思いもよらないことであります。
なお申請人は一月一五日頃嘱託人に対し供託所へは未提出の供託書写を交付したことはありません、嘱託人はその後も申請人事務所近くに来たときは必ず事務所に立ち寄つて雑談をして帰る位で申請人に悪感情を持つているようなことは毛頭ありません。
懲戒事実二について
申請人は広島市京橋町一番一五号尾崎徳男から債権者(地主)安佐郡祗園町大字長束八九三番地木下秀雄に対する地代弁済のための弁済供託の嘱託を受けたことはありません。従て同人から供託金及報酬金等名義の如何を問わず金員を受領したことはありません。
もつとも右尾崎徳男から本件土地を転借していると謂う広島市京橋町六番六号中垣弘道から右土地の地代弁済のため弁済供託の相談を受けたことはありますが該土地についてはすでに所有者(地主)木下秀雄の尾崎徳男に対する該土地明渡しの勝訴の判決が確定し所有者は強制執行のための執行文の付与も受けているので尾崎徳男に借地権はなく弁済供託の意味ないことを説明したところ中垣弘道も当時該土地を使用していた訳ではなく弁済供託は取止めることにしたが所謂転貸人尾崎徳男が強く弁済供託を主張するため、偶々当時中垣弘道は別の訴訟事件を提起するため申請人事務所に出入していたが、同人は資産もありその必要はなかつたのでありますが、弁済供託を強調する右尾崎徳男の手前表向きは弁済供託金名目としながら内実は右訴訟事件の準備金として懲戒事実記載の金員を申請人に寄託していたものであります。
真実中垣弘道が弁済供託金として寄託していたものであれば申請人としても長期間本件のように、なんらの手続もせず放置しておく訳がなく、又中垣弘道も黙つている訳がありません又申請人は家賃地代弁済のための弁済供託金の寄託を受ける場合は必ず一ケ月賃料何円、何ケ月分計何円と報酬を計算のうえ殆んど受け取つていたもので、慢然五、〇〇〇円とか一〇、〇〇〇円とか二〇、〇〇〇円と受領したことはありません、従つて申請人は供託金を受領しながらなんらの手続もせず放置していたことはありません。
ところが地主木下秀雄は執行力ある債務名義による強制手段に訴えることを好まず円満解決のため右尾崎徳男を相手方として借地明渡調停の申立がなされたが、尾崎徳男は中垣弘道が自己に代つて地代弁済のための弁済供託をしているものと思つていたので同人に対し調停期日に提出するため供託書の正本を要求したので中垣弘道はこれまで尾崎徳男に対しては供託をしていたように装つていた手前供託していないとも云へず昭和四五年三月九日申請人事務所に来て右の事情を告げ早急に尾崎徳男のため訴訟事件の準備金として預けている金で弁済供託をしてくれるよう嘱託を受けたので尾崎徳男名義で金四九、六〇〇円を昭和四二年八月から同四五年二月までの地代として供託したものであります。
なお、懲戒処分書によりますと残金五、九〇〇円を報酬五〇〇円、相談料五、四〇〇円に充当したとありますが、報酬五〇〇円はともかく申請人は未だかつて相談料金を受け取つたことはなく、右は中垣弘道の他の訴訟事件の費用と清算したものであります。
おつて申請人は中垣弘道から前記四九、六〇〇円が尾崎徳男名義で供託されているので事件解決後名義人に供託金が取戻されることを虞れ自分に取戻してくれるよう依頼を受けていたので円満解決後中垣弘道に取戻したのであります。その領収書が疎甲第二号であります。
因に尾崎徳男が地代の弁済供託を強く主張していたのは地主に勝訴判決が確定していても地代の弁済供託をして家屋を新築すれば当然借地権が生ずるという解釈からで、さりとて自分にはその資力がないので中垣弘道に対し地代の弁済供託とともに家屋の新築を勧め同人も一時は心が動いたが判決確定後の土地に家屋を新築しても建築禁止の仮処分でも受けては恥の上塗りになると思い翻意したものであります。
(3) 懲戒事実三について
昭和四五年一月五日から同年三月九日まで承認を受けないで畠山まゆみを補助者として使用したことは事実でありますが前者の一月五日は申請人が補助者使用承認申請書を司法書士会に提出した日であり、後者の三月九日は被申請人の補助者使用が承認された日であります。本件でも明らかなように当時は補助者使用承認申請書を提出して被申請人の承認を得るまで一ケ月乃至三月を要するのが通例で、その間は補助者採用予定者を補助者見習として雑務に使用していたのが実情であつたのであります。
法規は法規として守らなければなりませんが守るためには守られるように申請から承認までの期間を早くする等監督庁の適切な措置が必要と思うのであります。
四、懲戒処分書によると「以上の各事実は当局の調査結果および被処分者(申請人)の供述から認められるところ」とありますが当局の調査内容の結果は知る由もありませんが被処分者すなわち申請人は被監督の弱い立場にあり、監督者の執拗な誘導的尋問に対し、極刑にも比すべき認可取消の重大な結果を招来するとは夢想だにせず迎合的供述をなしたことは事実で現在では後悔しています。又一の事実の藤本尚秀及び二の事実の中垣弘道も法務局から呼出を受けての帰りには、申請人事務所に立ち寄つて取り調べについて申請人には不利益になり迷惑をかけると思つたが一民間人としては、お役所のいわれることにたてつくことは出来なかつたが将来問題になれば証人として真実を述べるから諒解してほしい旨を述べています。
五、申請人としては懲戒事実が全部事実としても過去の実例に照らして刑事事件により実刑に処せられた以外には認可取消の事例は聴いたことがなく処分は余りに酷に過ぎると思うのでありますが、いわんや被申請人において慎重な調査審理をなすことなく多くの事実誤認を犯しながら認可取消の処分をすることは権利の乱用も著しい違法処分と考えるので、本日処分取消の行政訴訟を提起いたしましたが、申請人には妻と三女(弘美七才、志織四才、志季一才)があり司法書士開業五年余にして漸く生活の安定をみたとき一挙に申請人とその家族の生活権を奪い死地に追い込むような処分に対し、申請人はこれが救済のため本案判決の確定を待つていたのでは一家五人が路頭に迷い糊口に窮し将来回復すべからざる損害を生ずるに至るので本案判決が確定するまで懲戒処分の効力の停止を求めるため本申請に及んだ次第であります。
六、最後に申請人がさきに登記申請書に添付する印鑑証明書の証明年月日を改ざんして行使したこと、被申請人の承認を受けずに補助者を置いていたこと等を理由に昭和四三年七月二一日被申請人から業務停止一ケ月の懲戒処分を受けていることであります、殊に印鑑証明書の証明年月日の改ざんは公文書偽造同行使に該り裁判所の心証を著しく害すると思われますので、その事情を申し上げます。
登記は抵当権設定登記で嘱託人は金融上の必要から是非とも同日の受付(同日の受付にするためには午後三時半までに登記所受付に提出しなければなりません)にしてくれと依頼を受けたのですが登記申請書に添付する嘱託人の印鑑証明書の証明年月日が通用期間三ケ月を僅かではあるが過ぎているので新たに印鑑証明書の交付を受けて持つて来ない限り当日受付は無理な旨話したのですが嘱託人は当日受付をして貰えないと金策上倒産に追い込まれる虞があると手を合せ泣くように懇願されるので申請人も嘱託人の情にほだされ、それでは直ちに新しい印鑑証明書を持つて来ること登記申請書には古い印鑑証明書を添付し新しい印鑑証明書ができ次第古い印鑑証明書と差し替えることにして当日の受付番号をとることにしたのであります。その際古い印鑑証明書をどうせ新しい印鑑証明書と差し替えるのですからその儘添付すればよかつたのですが魔がさしたというのか浅墓にもどうせ差し替えるのであるからとつい証明年月日を三ケ月内の日付に改ざんして提出したのであります。嘱託人は午後五時頃新たに交付を受けた印鑑証明書を事務所に持つて来ましたがすでに退庁時間であつたのでその日は申請人が保管して翌朝登庁時に差し替えるべく登記所に赴いたところすでに係官が改ざんの事実を発見して直接の監督者である民事行政部総務課へ通報していたもので正に一生の不覚でありました。
別紙(二)
申立理由補充書
右当事者間の御庁昭和四五年行ク第五号行政処分執行停止決定申立事件について、申立人は、次のとおり申立理由を補充するとともに速かに本件処分の執行停止決定を賜りたく上申する次第です。
一、本件処分の執行により回復の困難な損害を避けるため緊急の必要あること。
申立人は、昭和三九年一〇月六日に司法書士の認可を受け、同四〇年一月から肩書事務所において司法書士の業務を行なつてきたものであります。
他方、申立人の父である件外新見貞夫(明治四四年九月九日生)(以下父という)は、同四五年三月二〇日に司法書士の認可を受け同年四月から申立人と共に肩書事務所においてその業務を行なつているのであり、申立人が本件処分により司法書士の認可取消を受けてからは、申立人の嘱託事件をも引継ぎ嘱託者に迷惑をかけることなく推移してきたのであります。
勿論、申立人においては、本件処分によつて全く収入の途を閉ざされ、申立人親子五人の苦しい生活が始まつたわけでありますが、幸にして父の僅かの収入からの援助に辛じて生計を維持し、再起を期して反省悔悟の日々を送つていたのであります。
ところが、頼りにしていた父も病魔におそわれ、高血圧性心疾患・糖尿病・糖尿病性神経炎により昭和四六年二月八日から広島市民病院に入院治療を受けることとなり、かつこれが治療には長期間を要する見込であります。
かくして、申立人は、頼りにしていた父も病床に臥し、明日の生活にも事欠く結果になつたばかりか、病床にある父に何かと出費が嵩むうえ、父の嘱託事件の処理のこと将又父や申立人を引立てゝくれた顧客が休業により離散すること等極めて困難な場面に直面しているのであります。
特に、申立人においては、年令、経歴、境遇から転職は極めて困難であり、ために再び司法書士によつて身を立てようとするものにとつて長年に亘り獲得した顧客を失うことは金銭に評価し難い損失であります。そればかりか、前述したように、病床の父を助けるどころか申立人親子五人の明日の生活資料に事欠く切実な現実に直面しているのであります。
以上により、本件処分の執行のため正に回復困難な損害を避けるため緊急の必要があると思うのであります。
二、本案について理由がないとはいえないこと。
申立人としては、本件処分事由について事実に相違する点のあることは申立理由に述べましたが、現在のところこれを反証する適格な資料がないので、本案訴訟における証拠調によつて事実の真相を明らかにしたいと思つています。
何と言つても、本件処分は極刑であります。それだけに、重大な義務違背と重大な結果発生によつてなしうる処分と思います。
本件処分事由について事実に相違する点があつたにしても、申立人に司法書士の職務に違背する点の存したことは否定できないところであり、これにより申立人が相当の懲戒処分を受けるのも止むをえないことといえましよう。
しかしながら、その職務違背によつて嘱託者に不安を与えたにしても、実害を与えているわけではないのであります。
供託の遅延によつて、嘱託者に何らの法律上の不利益換言すれば被害を結果として与えていないのであります。このことは、懲戒処分の内容を決定する場合に充分考慮されるべきであります。
しかも申立人は、昭和四五年六月三〇日に本件処分を受けてから今日まで六カ月以上経過し、その間全く司法書士の業務を行ないえず、本件処分事由により六カ月以上の業務停止処分を受けたと同じ制裁を受けているのであります。
本件処分事由については、その実害のないことからして、最重の認可取消処分をしたのは著しく妥当性を欠く重い処分であると思うのであつて、申立人が今日までその業務を行ない得なかつたことによりこの処分事由に対する制裁としては充分その目的を達しているものと思うのであります。
三、申立人としては、前述したように、本件処分事由の事実に相違する点があるにしても、司法書士の職務に違背した事実を反省し自戒する意味からも本件申立に対する決定の留保をお願いしてきましたが、右記の事由により速かに御決定賜りたく茲に上申する次第です。
別紙(三)
意見書
申立の趣旨に対する答弁
本件申立を却下する。
申立費用は申立人の負担とする。
との裁判を求める。
理由
第一申立の理由に対する答弁
第一および二項の各事実は認めるが、その余は争う。
第二本件取消処分は適法かつ妥当である。
司法書士たる申立人は、公正、迅速かつ誠実に業務を行なわなければならない(司法書士法施行規則第一二条)にもかかわらず、申立人主張の懲戒事実一、二のように、賃料の弁済供託の嘱託を受けながら、甘言を弄するなどしてこれを放置し、よつて嘱託人の法律的地位を危険ならしめたものであり、また司法書士は、職務の重大性に鑑み、他人をしてその業務を取り扱わせてはならず(同規則第一〇条)また、被申立人の承認なくして補助者を使用しえないにもかかわらず、申立人主張の懲戒事実三のように、被申立人の承認なくして補助者を使用したのである。
しかも申立人は、昭和四三年七月三日、印鑑証明書の変造ないし被申立人の承認なくして補助者を使用したことで被申立人から注意を受け、始末書を提出しているにもかかわらず、さらにもう一名右承認なくして補助者を使用した等の事実により、業務停止の処分を受けながら、何ら反省の色なく、右懲戒事実のような行為におよんだのである。かかる申立人の所為は、申立人が司法書士としての適格に欠けていることを示すものといえよう。
そこで、申立人の主張について検討してみよう。
一 懲戒事実(一)について
(1) 申立人もまた、申立外藤本尚秀から、家賃弁済のための弁済供託の嘱託をうけ、昭和四五年一月七日、同年一月分の右供託代金五五、〇〇〇円、報酬金など一、〇〇〇円合計五六、〇〇〇円を受領し、次いで同月二八日、同年二月分の右供託代金五五、〇〇〇円、報酬金五〇〇円、合計五五、五〇〇円を受領したにもかかわらず、右供託手続を遅滞し、同年二月二八日に至つて、右一、二月分についての家賃を一括して供託したことを認めている。
しかし、右遅滞の理由について、申立人は、これまで右一月分については全く失念していたものであるが、右二月分については、家主や賃借物件についての正確な表示がわからず、調査に手間どつた旨弁解していたところ(疎乙第一号証参照)本申立では、同四五年一月七日に右一月分についての弁済供託の嘱託を受けた際、供託の相手方(家主)の住所、氏名もはつきりせず、しかも事実関係も不明確であつたので、他の緊急な嘱託事件の合間をみては調査を続けているうちに、同月二八日、右二月分についての弁済供託の嘱託を受けたものの、未だ相手方(家主)の住所、氏名もはつきりしなかつたところその後、調査の結果、相手方(家主)も明確になつたので、二月二八日に右一、二月分を一括して供託した旨主張している。しかし、申立人も認めているように、法律的に全く無知な右藤本尚秀が、司法書士であつた申立人に家賃月五五、〇〇〇円の弁済供託を嘱託したのである。しかも、右藤本尚秀は、家主である吉城寺正明外一名の代理人である弁護士椎木緑司から、同四四年一二月三一日、内容証明郵便で、同四五年一月分からの家賃を一カ月七〇、〇〇〇円に増額する。応じなければ立退け、と要求され、次いで同四五年一月五日、右家主の代理人である申立外岩見某から、家賃七〇、〇〇〇円を要求されたので、従来通り五五、〇〇〇円しか払わない、と述べたところ、受領を拒否されたので、右藤本尚秀は、前記弁護士椎木緑司からの七〇、〇〇〇円の家賃増額に応じなければ立退けとの内容証明郵便も来ていることから処置に窮した。そこで、知人の申立外和田勝に相談した結果、申立人を紹介され、前叙のとおり、同年一月七日、申立人に右家賃の弁済供託を嘱託するに至つたのである。そして、申立人も、右藤本は、右嘱託後地獄で仏に会つたように喜んで帰つたと主張しているように、右藤本は、司法書士である申立人に対し事情を説明し、弁済供託を嘱託し、これが供託金等を交付したことにより、申立人が右藤本に代わつて、面倒な供託手続を迅速にしてくれるものと信じ、安心して帰つたのである(疎乙第二号証の一参照)。それにもかかわらず、申立人は前叙のとおり忘れたと弁解したり、さらに驚くべきことは、家主の住所、氏名もわからなかつたので、他の緊急な嘱託事件の合間をみて調査をしていたために、供託が遅れた旨主張し、右弁済供託事件が緊急を要しない嘱託事件と心得ているのである。
しかし、弁護士から明渡し等の内容証明郵便を受けとるなどして、処置に窮して駆け込んだ右藤本から、この事情をきいて家賃の弁済供託を嘱託された司法書士が、これを忘れるとか、かかる家賃の弁済供託を緊急を要する嘱託事件と考えていないなどということは、司法書士の業務を理解していないか、あるいはまた、司法書士の本分を忘れているものということができよう。
(2) しかし、右嘱託事件において、最も重要なことは、申立人が右藤本尚秀の無知に乗じ、供託を了したように装い、供託手続をしないでこれを放置していたということである。
すなわち、申立人が、同四五年一月七日、右藤本尚秀から右一月分の弁済供託の嘱託を受けた際に、仮に申立人の主張しているように、右家主の住所、氏名をはつきり知ることができなかつたとしても、申立人は、翌一月八日、広島法務局において右家賃の登記簿謄本の交付を受け、右家主の住所、氏名は了知したものである(疎乙第三号証参照)。そうであるからこそ、申立人が右藤本尚秀に対し、同月一五日ごろと翌二月二五日の二回にわたつて交付した供託所へは未提出の供託書の写にも、右家主の住所、氏名が明記されているのである(疎乙第二号証の三、四参照)。したがつて、申立人は、右一月分の家賃については、同年一月九日に供託しえたのであり、また右二月分の家賃についても、これが嘱託を受けた一月二八日ごろには当然供託しえたのである。それにもかかわらず、供託手続をしないで放置していたのである。そして、右藤本尚秀から、同年一月一五日ごろ右一月分の家賃についての供託書を請求されるや、申立人は、同人の無智に乗じ、供託年月日、供託番号、供託を受理した供託官の署名押印がない供託書(疎乙第二号証の三)を交付し、これは、供託する前の供託書の写であり、これでも差支えない、相手方には二通送つた旨述べて、あたかも右一月分については供託済みのように装つて右藤本尚秀を安心させていたのである。さらに同年二月中旬ごろ右二月分の家賃についての供託書を請求されるや、同月二〇日ごろ右一月分と同様に供託年月日、供託番号供託官の氏名押印のない供託書(疎乙第二号証の四参照)を郵送した(同二号証の五の一、二参照)のである。しかし、供託書は二枚とも、供託年月日、供託番号等の記載がないので、無知な右藤本尚秀もようやく不審をいだき、同年二月二七日、申立人に対し、電話で供託番号、供託年月日を尋ねたところ、一日やそこらでは調べられないから教えることができない、といわれたので、さらに不安になり、知人と相談したところ、司法書士を取り替えた方がよいといわれ、三浦博孝司法書士を紹介された。そこで同人と相談し、閲覧申請書を作成してもらい(疎乙第二号証の六参照)供託所において、右供託書副本の閲覧を申請したが、結局供託年月日および供託番号が不明のため閲覧することができなかつた。そこで知人に事情を話し、申立人に電話で照会してもらつた結果、翌二月二八日には供託年月日、供託番号等を知らせる、とのことであつた。そこで、同月二八日いよいよ不安になつた右藤本尚秀の妻弘子が、広島法務局に来て、右供託の事実の有無について調査の申出をし、これが調査中に、申立人からはじめて右供託手続がなされたのである(疎乙第四号証参照)。
(3) 以上の様に、右嘱託事件は極めて緊急事件であり、供託金額が多額であるにもかかわらず、嘱託人が無知なのに乗じ、供託手続をせず、不審をいだいた嘱託人から供託書正本を請求されるや、供託所に未提出の供託書の写を交付して供託を了したように装い、嘱託人が他の司法書士と相談し、あるいは再三の嘱託人の照会で、漸く供託手続をするに至つたのである。かかる申立人の所為は嘱託人の財産権ないし法律的地位を危殆ならしめるものといえよう。
二、懲戒事実(二)について
(1) 申立人は、申立外尾崎徳男から、同木下秀雄に対する地代弁済のための弁済供託の嘱託を受けたことはなく、ただ、右尾崎徳男から該土地を転借しているという申立外中垣弘道から、右地代弁済のための供託についての相談を受けたことがあつたので、右弁済供託の無意味なことを説明し、右弁済供託を思いとどめさせたものの、右尾崎徳男が右弁済供託を強く主張したため、右中垣弘道は、右尾崎の手前、表向きは弁済供託名目としながら、内実は、右中垣の訴訟事件の準備金として申立人に寄託したものであり、申立人が、右尾崎徳男のために、昭和四五年三月一〇日、同四二年八月から同四五年二月までの地代として四九、六〇〇円を弁済供託したのも、同四五年三月九日右中垣弘道から、右尾崎徳男に対して供託していたように装つていた手前、右訴訟事件の準備資金として預けている金で弁済供託をして欲しい旨の嘱託があつたので、三月一〇日に右弁済供託手続をした旨主張している。仮に右申立人の主張が真実であるとするならば、司法書士たる申立人が、右中垣弘道と意を通じ、右尾崎徳男に対しては、希望通り地代の弁済供託をした旨の偽装工作をして同人を安心させていたということになる。申立人がかかる主張をすることは司法書士の本分を忘れているものといえよう。
(2) 次に、申立人の主張によると、申立人は右中垣弘道から、同人のための訴訟準備資金として、同四三年一月一九日一〇、五〇〇円、同年五月五、〇〇〇円、同四四年二月二四日二〇、〇〇〇円および同年一二月二〇日二〇、〇〇〇円を受領し、同四五年三月一〇日現在において右合計額のうち、同人のための訴訟事件の費用に充てた額は五、四〇〇円であるというのである。そうすると右中垣弘道としては長い間相当額の現金を申立人に預けて、これを遊ばせていたことになる。しかし、商人である右中垣弘道が、このような無駄なことをするはずはあるまい。かかる事実だけからも右申立人の主張が虚構であることは明らかといえよう。
(3) そこで、申立人が右尾崎徳男から、右地代供託の嘱託を受けながら、これを放置していた事実を明らかにしよう。
右尾崎徳男は、同三七年六月一二日、右木下秀雄から家屋所有の目的で、安佐郡祗園町所在の田一四五・四五平方米を賃借し、自費で宅地造成をしたが、同四二年一月ころ、同地のうち、七二・七五平方米を返還し、残りの七三平方米を賃借していた。同年五月ころ賃料増額の請求に応じなかつたことから、民事調停の申立があり、同年七月二六日、賃料一カ月一、六〇〇円毎月末日に翌月分を払う、三カ月分以上賃料不払の場合は直ちに契約を解除する旨の調停が成立した。ところが、同年九月分からの賃料を遅滞したため、同年一二月ころ、右賃料不払による右土地の明渡を要求された。右尾崎は、翌四三年一月、右九月以降半年分の賃料を支払おうとしたが受領を拒否されたので、同四三年一月一九日知人の中垣弘道と一緒に申立人を訪れて、右地代の弁済供託を嘱託し、(疎乙第五号証の一、第六、七各号証参照)、同四二年八月から同四三年一月分までの地代および手数料として一〇、五〇〇円を交付し、申立人もこれが領収証を交付した(疎乙第八号証参照)。次いで、右尾崎徳男は、同四三年五月、右地代供託費用として申立人に五、〇〇〇円支払い(疎乙第九号証参照)、さらに同四四年二月二四日、右中垣弘道と一緒に申立人を訪れ、同四三年三月分から一年分の地代の弁済供託を嘱託して、二〇、〇〇〇円を交付し、この領収証を受領した(疎乙第一〇号証参照)。また、右尾崎徳男は、同四四年一二月二〇日、右中垣弘道と一緒に申立人を訪れ、同四四年三月分から一年分の地代の弁済供託を嘱託して、二〇、〇〇〇円を交付し、この領収証を受領した(疎乙第一一号証参照)。
なお、地代は右中垣が右尾崎のために立替払いをしたために、右領収証には、尾崎の氏名と並べ「中垣」とか「光陽電機」の記載がなされているのである。したがつて、尾崎徳男は、申立人に地代の弁済供託を嘱託し、供託金手数料も支払つたのであるから、申立人が直ちに右供託手続をしてくれているものと思い込んでいたのである。したがつて、同四四年一二月二六日、尾崎徳男が、右木下秀雄から右土地明渡の調停を申し立てられ、翌四五年二月一七日の第一回期日に出席した際も、尾崎徳男は地代を供託している旨主張し、裁判官からこれが供託書の提出を促されたので、同年三月九日、申立人に電話し、供託書を請求したのである。これに対して申立人は翌日、供託書を渡すということなので、翌三月一〇日、申立人を訪れたところ、申立人は、今から法務局へ行つて受取つてくるから待つているようにといつて、供託所に行き、はじめて右供託手続をし、これが供託書を尾崎徳男に交付したのである。しかし、無智な尾崎徳男は、これを受領しても何ら不審をいだかず、右調停期日に持参したところ、裁判官から、尾崎は前々から地代を供託したように主張しているけれども、今日供託したことになつているから、法務局へ行つて照会するようにといわれ、驚いて供託所に来て、真相を知つたのである。その結果、裁判官からも供託手続が遅れているために本訴で争つても尾崎徳男の主張は認められないといわれ、やむなく右土地を明渡すに至つたのである。
以上の次第であるから、申立人の右所為は嘱託人の財産権ないし法律的地位を危殆に陥らしめたものであり、申立人が、同四三年七月三日、懲戒処分を受けた後、程なくして、かかる所為がなされたということは極めて重大といえよう。
三 懲戒事実(三)について
(1) 司法書士の職務は、国民の財産ないし法律的地位を保全し、確保するために、国民の嘱託にもとづいて、裁判所、検察庁、法務局(あるいは地方法務局)に提出する書類を作成し、さらにまた、登記または供託に関する手続を代わつてすることにあるから、司法書士の使命は重大であり、その故に、専門的知識があり、かつ、国が認可した者に限つて、右職務に従事することができ、かかる資格のない者は、この業務に従事し、あるいはこの業務を取り扱うことは許されないのである(司法書士法第一九条、同施行規則第一〇条)。しかし、嘱託事件の迅速なる処理も、司法書士に対する不可欠の要請である。
そこで、特に必要があると認められる場合に限り、司法書士の補助者を認めることにし、なお、司法書士の右職務の重大性に鑑み、その必要性の有無および補助者としての適格性等を法務局長または地方法務局長の判断に委ねているのであるから、法務局長または地方法務局長の承認がない限り、司法書士は補助者を置くことは許されないのである。それにもかかわらず、申立人も自認しているように、同四五年一月五日から同年三月九日までの間、申立人は、被申立人の承認なくして申立外畠山まゆみを補助者として使用していたのである。
このように、申立人が被申立人の承認なくして補助者を使用したのは、今回で三度目である。すなわち、最初は同四二年六月から右承認なくして補助者を置き、同年一二月二一日始末書を提出したにもかかわらず、同四三年五月から承認なくしてさらに一名補助者を使用し、同年七月三日、懲戒処分をうけているのである。
それにもかかわらず、あえて今回の所為におよんでいるのである。かかる申立人の所為は、司法書士の職務を全く理解しないことに基因するものといえよう。
(2) なお、申立人は、昭和四五年一月五日、司法書士会に補助者使用承認申請をし、同年三月一〇日にこれが承認されたのであるが、右承認までの期間が長すぎる旨主張しているが、被申立人が右司法書士会から右承認申請書を受理したのは、同年三月六日であつて、同月一〇日に承認をしているのである。したがつて、被申立人が右受理から承認までの期間は極めて短かかつたといえよう。もつとも、司法書士会からの申達手続が若干の日時を要したが、これとても、同会が、司法書士法の趣旨にもとづき、申立人が補助者を特に必要とするか否か、および右畠山まゆみの補助者としての適格性を慎重に検討していたためであつて、決して申立人から非難されるべきいわれはない。
四 本件処分の適法性ないし妥当性について
(1) 申立人は、同四三年六月一〇日、登記嘱託事件において、印鑑証明書を変造して、登記所に提出したこと、あるいは同四二年一二月二一日、被申立人の承認なくして補助者を使用したということで注意を受け、始末書を提出しているにもかかわらず(疎乙第一二号証参照)、引続き承認なくして補助者一名を使用し、同四三年五月からは、承認なくしてさらに一名補助者を使用していたことなどによつて、同四三年七月三日、一カ月間業務停止の懲戒処分を受けているのである(疎乙第一三号証参照)。それにもかかわらず、全く反省することなく、あえて前叙のごとき所為におよんだことは、司法書士の職務の重大性を自覚せず、司法書士としての適格を欠くことが明らかといえよう。
されば、被申立人のした本件取消処分は適法であり、かつ妥当というべきである。
(2) なお、申立人は、本件処分が過去の実例に照らし、著しく妥当性を欠く旨主張しているが、役員変更登記申請手続を依頼され、七カ月間この処理を放置したということで、司法書士の認可を取消された事例もあり(疎乙一四号証の二参照)、かかる事例と比べただけでも、本件取消処分が妥当性を欠くものでないことが明らかといえよう。
第三本件申立は執行停止の必要性がない。
前叙のとおり、司法書士の業務は、国民の財産ないし法律的地位を保全し、確保することにある。
ところが申立人は、前叙のとおり先きの懲戒処分にもかかわらず、何ら反省するところなく、国民に多大な迷惑をおよぼしているのである。かかる申立人に対し、暫定的にせよ、これまでと同じように業務に従事させることは、国民の司法書士に対する信頼を失わせることになること明らかである。このような結果は、さらに国民の財産等の保全ないし確保に重大な支障をもたらすことにもなりかねないのである。
かかる国民の利益の保全ないし確保こそが先ず第一に必要なのであつて、これに比べると申立人の利益などは取るに足りないものということができる。
されば、本件執行停止の必要性もないものといえよう。
第四以上の次第で、本件申立の理由はもちろん、執行停止の必要性もないことは明らかというべきであるから、本件申立は不適法であつて、すみやかに却下さるべきである。
別紙(四)
総秘第四〇号
懲戒処分書
住所 広島市牛田町一四三番地
事務所 広島市上八丁堀四番三〇号
司法書士 新見弘志
昭和一二年一月一二日生
右の者に対し次のとおり処分する。
主文
司法書士の認可を取消す。
理由
右の者は昭和三九年一〇月六日第一〇二五号をもつて司法書士の認可を受け、昭和四〇年一月から肩書事務所において司法書士の職務に従事しているものであるが、
一 広島市国泰寺町二丁目三番五号藤本尚秀から債権者(家主)広島市山県郡大朝町大字新庄六二六番地持分二分の一吉城寺正明外一名に対する家賃弁済のための弁済供託書の作成およびその代理申請の嘱託をうけ、
(一) 昭和四五年一月七日、同年一月分の家賃弁済供託代金五五、〇〇〇円と報酬金一、〇〇〇円の合計金五六、〇〇〇円
(二) 同月二八日、同年二月分の家賃弁済供託代金五五、〇〇〇円と報酬金五〇〇円の合計金五五、五〇〇円
をそれぞれ受領しながらその手続をせず、しかも、同年一月一五日頃および同年二月二十五日嘱託人に対して供託所へは未提出の供託書の写を交付して、あたかも供託が完了したかのごとく偽装したものである。ただし、その後嘱託人から追求されたため、同年二月二八日に至つて前記供託の手続をしている。
二 嘱託人広島市京橋町一番一五号尾崎徳男から債権者(地主)安佐郡祗園町大字長束八九三番地木下秀雄に対する地代弁済のための弁済供託書の作成およびその代理申請の嘱託をうけ、
(一) 昭和四四年二月二四日地代弁済供託金名目の金二〇、〇〇〇円
(二) 同四四年一二月二〇日同名目の金二〇、〇〇〇円
をそれぞれ受領しながら、その頃なんらの手続もせずに放置していた(なお、同嘱託人からかねて同地代の弁済供託のため、同四三年一月一九日に同四二年八月分から同四三年一月分までの地代金九、六〇〇円と報酬金九〇〇円の合計一〇、五〇〇円を、また、同四三年五月(日不詳)に供託費用名目の金五、〇〇〇円をそれぞれ受領していながら、これらについてもなんらの手続をもしなかつた。
そしてその後同嘱託人が、同四四年一二月二六日債権者から貸借地明渡調停の申立をうけ、同四五年三月一〇日の調停期日に地代の供託書の正本を提出するよう求められたため、その前日である同年三月九日右正本の交付を要求するに及んで、同月一〇日に同四三年一月一九日以降嘱託人から受領したままになつていた金員合計金五五、五〇〇円のうち、金四九、六〇〇円を同四二年八月から同四五年二月までの地代として供託し、、残金五、九〇〇円を報酬五〇〇円、相談料金五、四〇〇円に充当した。
三 同四五年一月五日から同年三月九日までの間当局に提出する申請書等の作成、提出等のため当職の承認を受けないで畠山まゆみを補助者として使用した。
以上の各事実は、当局の調査結果および被処分者の供述から認められるところ、一及び二の事実は、司法書士法第一八条、同法施行規則第一二条の規定に違反するものであり、また、三の事実は、同法第一八条、同法施行規則第一一条の規定に違反するものである。
なお、被処分者は、さきに登記申請書に添付する印鑑証明書の証明年月日を改ざんして行使したこと、当局の承認を受けずに補助者を置いていたこと等を理由に、昭和四三年七月二一日当局から業務停止一ケ月の懲戒処分をうけている。
よつて司法書士法第一二条第三号の規定により主文のとおり処分する。
なお、この処分に不服があるときは、この処分があつたことを知つた日の翌日から起算して六〇日以内に法務大臣に対し審査請求をすることができる。
昭和四五年六月三〇日
広島法務局長 河津圭一